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かつて中央線一と言われたパチンコ屋を潰した社長の馬鹿息子がやった事とその末路。

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こんにちわ、どもどもてんたまです。

今回のお話は僕がパチンコ業界に20年以上と長く身を置き、その働いていたパチンコ屋で本当にあったもっとも思い出に残ったお話を紹介しようと思います。

結構暴力表現強い話なので、苦手な人はブラウザバックでお戻りください。

ではでは今回のお話なんですが、会社と言うのは、創設者が良くても、その後引き継いだ子供が駄目にし、よく三代目で会社は潰れると言う例え話を耳にする事はあるかと思いますが。

実際、私がパチンコ屋で働いてた時、三代目どころか二代目で会社をボロカスにしちゃったと言う、とんでも無い馬鹿息子と一時期一緒に仕事をした事があったので、その馬鹿息子がどんだけ馬鹿だったかご紹介しようと思います。

ちなみにそのパチンコ屋は、立川、三鷹、横浜にチェーン展開していたお店で、お店の名前は一応ちょっと変えますが、「新世界」と言うお店で、まあ、立川の場外馬券場の前にあった、内装に幼稚園児の落書きみたいな物を起用しており(社長デザイン)、裏モノのボルキャニックが30000枚ほど出ましたとか出玉ランキングがあって、看板機種がこらまた裏モノのドリームセブンJrのお店と言えば当時通っていた人は分かるんじゃ無いでしょうか?
このお店は一時期中央線にあるお店と言えば「新世界」と言われるほどの有名なお店だったらしいです。

1、登場

元々この馬鹿息子、まあ仮名でT雄(ティーオ)としましょうか、そのT雄は、パチンコブームで会社がものすごい繁盛してた時に子供時代を送り、それはもう何不自由ない日々を過ごし、学校出た後も好きなボクシングをしながら暮らしていたそうです。

プロだったかどうか知りませんが、まあ名前も聞いた事が無いので、大したボクサーではなかったのでしょう。

またボクサーなら、スポーツマン精神を重んじる良い性格…、なら良かったのですが、恐らくはなに不自由無いワガママし放題の子供時代の影響からか、どちらかと言うと気性は荒い方で、自分の思い通りにならないと不機嫌になる、まあ、典型的な金持ちボンボンと言った感じで、そんな性格な訳ですから、ボクシングなんて他者を威圧、圧倒するための武器としか考えてはいなかったでしょう。

そんなちょいと色々と危ない彼でしたが、時は2000年が幕開けしてすぐの頃でしょうか。

今までパチンコ経営に関しては興味が無かったのか、全くノータッチな感じに過ごしていた彼でしたが、店の経営が悪化していると言う話を聞き、なんか突然、本当になんか突然、息子として会社を立て直したいと経営に参加してくる事になりました。

また経営が悪化していると言っても、それはパチンコブームが終わって普通に戻っただけで、ブーム時はどんなにボッタクリ設定にしても勝手に客が来てやってくれたから、そりゃ儲かりましたからね。

それが終わって、逆に玉を出してお客を呼ばなきゃいけない感じになってたので、ブームの時より締め付けが緩くなった分、そりゃ利益は減ります。

そして利益が減った分、社長はただ単に経営が悪化したと感じた訳です。

しかし出してた分、売上や集客は維持してたので、そこまで悪化した、と言う訳では無かったんですよね。

しかし利益が下がった事により、ブーム時に出来てた贅沢三昧が出来なくなってしまった事が、社長にはどうにも納得出来なかったようで、以前の贅沢三昧が出来るように経営が良くならないか頭を悩ませたり、支払いを踏み倒したりしてました。
換金所の支払いも踏み倒してたので、よっぽどだったと思います。

まあ、換金所はパチンコ屋と関係無いから、支払いとか踏み倒しとか、そんな問題は存在しないんでしょうがね(草)

ちなみに社長が思い描く贅沢三昧のレベルは、当然一般市民である僕らでは理解出来るものでは無く、それは儲からなきゃクルーザーが作れないだろ! と言うレベルでした。
勿論プライベートで使う物です。
まさしく「社長号」って感じですね。

まあそんな感じに、クルーザーが作れない事に頭を悩ましてた社長の前に、その息子であるT雄(ティーオ)が、会社を良くするために手伝いと殊勝な事を言い出し、それに感極まった社長が、そのT雄に、なんといきなり部長職を与えて会社経営に参加させてしまいます。

うん、まさに良くある愚かな家族経営の展開って感じですね。

さて、そんな感じに性格に既に難ありなT雄氏が部長に就任した訳ですが。

就任直後、お店を良くするために彼がやった事はこんな事でした。

2、店長を殴りまわる

彼が最初にやった事は、誰がボスか知らしめるために、ボクシングで鍛えたパンチ力を活かし、各店舗にいる店長を殴り飛ばしたそうです。
どう言った経緯でそのような暴力事件に至ったかは不明ですが、とにかくそんな奴が上司として経営に参加してきた事に、若かりし頃の僕はただただ恐怖を感じ、このまま会社にいて大丈夫か? と感じるだけでした。

実際、殴られた店長はそのまま辞めたそうです。

これにより、上手く出玉演出してお客を繋ぎ止めていた有能な店長はいなくなり、その後その店の運営を引き継いだT雄が、利益だけを出すボッタクリ設定で放置したため、あっと言う間に客はいなくなってしまいました。

また彼は今までやっていた、お客を集めるためにやっていたイベントをいきなり全部廃止しすると言う、そこに来るお客をお客とも思わない事をやってしまいます。

僕はその時その場所にいて、一応部長にいきなり止めたらお客からクレームが凄いと思いますがと、本当に一応ですが進言しましたが、彼は、今のイベントで来てる客がいなくなっても、すぐ新しい客がつくから大丈夫だよと笑って言ってました。

まさに経営を舐めてるとしか思えない発言。

僕はこの発言を聞いて…ああ…近隣店舗の設置台数が上のお店より集客に成功していた良いお店だったのに、このお店はもう駄目だな、と、このお店に未来は無い事を痛烈に感じました。

しかし彼の問題はこれだけじゃありませんでした。

3、右腕がゴト師

T雄は元々横浜のお店から自分のテリトリーを広げてきた感じで、横浜の方が手下が多かったんですよね。

また僕が働いていた立川は、そのチェーン店を大きくしてきた店長がいるお店で、流石にその店長には大きな事は言えなかったんですが。

ある日の事、そのT雄のテリトリーである横浜から人事異動と言う形で社員が来たんですよ。

その社員の名前は、こちらも仮名で、そうですね名前にちなんでプリンスとしておきます。

そして形と言うのは、その移動してきたプリンスは、お店の女子店員に二股かけてたとか言う不貞行為をしたと言うのが本当の理由らしく、その話を聞いた瞬間、そんなやつこっちに移動させるなよ、と言うかクビにしろよと僕は強く思いましたが、どうやらそいつは人に取り入るのが上手いのか、部長のお気に入りらしく、そのためクビにならず移動となったみたいでした。

また横浜の人間を入れる事によって、立川を自分色に侵食しようと思惑もあったのかも知れません。

しかしそれが彼の最大ミスでした。

それはどう言う事かと言うと、もしもこのブログをT雄氏が見てたら驚くかも知れませんが。

実はプリンスはゴト師だったのです。

そして何故彼がゴト師だとすぐ分かったかは、彼が来た瞬間、スロットに不正基盤が仕込まれるゴト行為が多発したからです。
どんな不正基盤かと言うと、大花火に情報線の仕込まれるブラ下がり不正情報線や、後確か新しい花月のAタイプがあったと思うのですが、そのストップボタンの裏側の外さないと分からない基盤が不正基盤に変わっている事が多発し、しかも、それをプリンスが仕込んだのを決定的にすることは、彼は無意味に誰もいない朝5時に出勤していた事がよくあったからです。

完全に黒でした。

しかも防犯カメラを見てたT雄氏が、そのゴトされた台を打ってるやつを見て、「あれ? 横浜の客が来てるじゃん。なんで?」とか言ってたので、どうやらプリンスは横浜でもゴト師と組んで相当利益を抜いてたみたいでした。

僕はそんな感じに、プリンスをゴト師と分かっていましたが、既にこのT雄がお店に入ってきた時点でやる気が無くなってた僕は、元々そのお店の店長に、新しく行くお店に一緒に来ないかと誘われてた事もあり、もう関係ないやと思い、その事は伝えずにお店を去りました。

その後は、僕はお店を止めてしまったので詳しい詳細は分かりませんが、プリンスはベンツを買ったと噂されるくらい抜いたそうです。

4、その後の末路

その後、僕が働いていたお店は、名前を変えて、なんか店員にオジサンしかいない、まさに末路の状態になり、その後いつの間にか潰れてました。

しかしT雄氏との繋がりは意外なところで続き、僕が転職した先のお店に、ラミネートと言う、プラスチックのシートの間に紙面を入れて、ラミネート機で札やポップを作る原料を売る会社が、そのラミネートを買ってくれませんかとコンタクトがあったのですが、その代表をやってるのがそのT雄でした。

かつて部長として、部下を殴りまわっていた、T雄は、その下に見ていた部下の下請けになる有様になっていたのです。

その時そのラミネートを買うかどうかは、僕には決定権は無く、同じく前の会社の上司だった、現在はそのお店の店長が、まあ、安く売ってくれるならと、半ば同情に似た感情で応じてたのは、今でも印象に残ってます。

その後はいつの間にか取り引きも無くなってたので、その後T雄氏がどうなったかは分かりませんが、まあ、パチンコ屋をやらずに、ラミネートを細々売ってるちっちゃい会社をやってたと言う事は、その後も大した成功もしてないかと思います。

まあ暴力ふるい、お店を良くしてきた全ての社員の努力を踏みにじって消し去った人間にはお似合い末路かと今でも思います。

20年以上前、かつて中央線一と言われていたお店は、このような経緯があって潰れていきました。

当時僕がいた時にいた常連のお客さん、あのお店が潰れたのはこんな理由でした。

とっくにそんなお店の事は忘れてるでしょうが、まあ、少しでも、そうだったのかと心の片隅にでも思ってくれれば幸いです。

と言うところで今回のお話は終わりにしようと思います。

それではまた。